相談員のなわばり
ききたくない相談
相談業務には、児童・障害・高齢・社会保障・雇用など、さまざまな専門分野がある。
相談員は、一生の中で出会ってしまうかもしれない様々な生活課題の相談に対応するのが定義であるが、範囲が広すぎてオールマイティに対応できるという訳にはいかない。
専門分野外の相談事に関しては、教科書レベルしか理解していないことも多いのだ。
相談業務の現場は、専門分野を解決すれば、クライアントの生活の質が上がるという、単純な引き算と足し算で済む問題ではない。生活課題は、複雑な計算式で成り立っている。
複雑な計算式なっている原因は何か?
現代社会で天涯孤独な人間は、滅多といない。
家族がいるのだ。
その家族が、ネガティブに影響し合って、生活課題が複雑に絡み合って大きくなる。
個人の生活課題なら容易であるが、家族の生活課題が計算式に入ってくると、難易度が上がる。
このような相談が来たときは、いい意味でも悪い意味でも「当たっちゃった」とつぶやいてしまう。
誰が、相談員としてかかわるか?
この話は、相談員の養成課程でよく出るたとえ話だ。
例えば、あのちびまる子ちゃんは実はフィクションで、現実はこんな家庭だったら相談員としてどうするか?
まる子ちゃん→発達障害
お姉ちゃん→ヤングケアラー
お父さん→アルコール依存症・うつ病
お母さん→がん治療中
おじいちゃん・おばあちゃん→認知症
お姉ちゃんが、頑張ってケアしたとしても、小学生がすることだ、生活が破綻していることは、容易に想像できる。
どの専門分野の相談員がかかわるか?
まる子の発達障害は、小学校のスクールカウンセラー?
お姉ちゃんの負担が大きいから、スクールカウンセラーか児童相談所?
お父さんが、精神科の病気で働けないから、精神科医療相談?雇用に関する相談?
お母さんは、通っている病院の医療相談員?
おじいちゃん・おばあちゃんは、地域包括支援センター?
いろんな生活課題があるが、なわばり(専門分野)がそれぞれあって、どうしていいかわからない。たとえ、意を決してなわばりを飛び越えて支援することが正解なのか。
それは、不正解!
餅屋は餅屋なのだ、専門分野の人間がそれぞれ支援できることを持ち寄って、連携をしながら対応するのが正解だ。
でも、かかわらない理由もたくさんある。
まる子とお姉ちゃんは、登校できているから問題ないとか。
お父さんはアルコール依存症だが、他者に迷惑かけていないから問題ないとか。
お母さんの治療は順調に進んでいるから、問題ないとか。
おじいちゃんとおばあちゃんは、物忘れがあるけどお姉ちゃんを中心に見守りとか介助があるから問題ない。
とか、思いがちだ。
一番の決定打は、まる子一家を把握している相談員たちから「本人たちが困ったって言っていない」って言葉がでたら絶望的だ。
つまり、「余計なおせわなんじゃないの~」とも言い換えられ、かかわらない理由が正当化される。
法改正されたが、現実は?
こんな事例が積み重なって、社会福祉法の改正がされている。
こちらを参考に。厚生労働省 重層的支援体制事業
おかみの地元は、まだこの事業は取り組み始めたばかりで、まだ未完成。
現実、この事業の担当になるには、かなりの手腕がいる。レジェンドレベルの相談員じゃないと、こなせないのではないかと思う。
人材育成の問題。
どっこいしょ!!
数年前から、気がかりなケースがあった。そろそろ限界が来るのではないかと思っていた。
裁判所も警察も行政も医療も雇用主も某相談所も、把握していた。
制度の狭間で放置されていたケースだ。
キーワードは、軽犯罪・無保険・60代・経済的搾取・軽度知的障害の疑い・家族の怨恨・生活環境の悪化・なし崩し退職など。
どこのなわばりが、どうイニシアチブをとるのか迷うところではあるが、もう見守るのはこっちが限界だ。
さあ、勇気を出して、どっこいしょ!!
「本人たちが、困ったって言っていない」「余計なおせわなんじゃないの」って言わせないためには、どうしたらいいかな?