50代いろいろあるようなないような?

おかみのバイオリズム
ブログの更新がずいぶん空いた。
ぼちぼちやっていくと決めたブログだから、続けることに意味があると思っている。
百歩譲って、忙しかったから更新ができないとか、ブログどころじゃない事件が起こったとかなら、このペースでもいいかもしれないが、何の理由もないのに、3か月に一回の更新はダメだ。
自分が赦せない。
なぜ、決めたタスクがこなせないのか?
バイオリズムの問題だ。
50代も過ぎれば、だいたい年間のバイオリズムが決まっている
春は、比較的に心身共に元気に過ごしている。夏は、「暑い暑い」と言いながら絶好調。
秋から気分は落ち着いてゆったりした気分。
そして、冬が一番調子が悪い。
去年の冬は、どうだった?
う~ん。
去年の冬は、例年と同様。
調子の悪さも例年とうり。
若い時は、冬が調子が悪いといってもイベントが多い時期だから、それなりにテンション上げて過ごせていた。
50年も生きていると、クリスマスも正月も旅行も映画もおいしそうなディナーも感動が薄れてくる。
何をしても、テンションが上がらない。
それでも、やらなきゃいけないタスクはあって、それなりにこなす。
やってもやらなくてもいいタスクは、そのまんま。
ブログの更新も、このカテゴリーに入っちゃったという訳だ。
情けない。
こういうことが、年齢を重ねたということなのか~
どうしたらいいんだ~
このままじゃだめだ。
どうすればいいんだ。
そうだな、イベントがあってもテンションが上がらないとなるとー。
おかみが、テンションあげて頑張れることって何だろうか?
思いつかない。
感情ゆさぶられメータの角度がとめどもなく広がっていて、いいことがあってもわるいことあっても動揺せず、「当たり前」とか「必然」とか「こんなもん」「予測できた」とかっていうワードが、頭の中を駆け抜け感情ゆさぶられメータがピクリとも動かない。
人はどうやったら頑張れるのか?
ある人が、言ってたな。
人が何かを頑張る要因は、2種類しかない。
○○になると嫌だから、頑張る。(外発的動機付け=義務・罰・他者からの評価)
○○になりたいから、頑張る。(内発的動機付け=成長の喜び)
できれば、内発的動機付けで頑張りたいよね。
内発的動機付けであってる?
う~ん。
「内発的動機付け=成長の喜び」と言うことは、目標を作ってコツコツ努力するイメージだな~。
これまた、テンション上がらない~。
おかみが欲しいものは、目標ではない。目標は、人に公表できる目標から公表できない目標まで、実はたくさんある。意外とおかみや野心家なのだ。
今、目標を作ることは、外発的動機付けになってしまう。
欲しているのは、感情の揺さぶりの向こうになる行動力だ。
では、違う方向性で考えてみると。
そうだ!そうだ!
そういえば、若い時に課金してたじゃん。
「占い」
これだったら、輝かしい未来に向かって頑張れる言葉かけしてくれるんじゃないの?
それが、占い師の商売だし。
この思考、まった~!!
いい占い師いないかな~。
ChatGPTに聞いてみよ~っと。
いや、いっそのこと占い師をすっ飛ばして、ChatGPTに占ってもらおうかな~。
おや?
ひとつ前のブログで、アンチAIについていっちょ前に宣っていたのではないか?

やばい、やばい。
この思考。
なぜ、占いに惹かれるのか?
誰だって、占いとか開運とかそういうワードが気になる時期がある。
古くは、江原啓之の「オーラの泉」とか、毎週見ていた。
あれは、ただのエンタメでファンタジーだ。
だが、それなりのランクの芸能人が、二人の言葉がけで感情が揺さぶられ、涙を流す芸能人をみながら、エンタメだとわかっているが「本当にあの二人は、未知なる力があるのではないか?」と思いながら録画してみていた。
そういえば、おかみの歴代のクライアントの中で占いで生計を立てていた人がいて、そういう人が幸せな暮らしをしているかと言うとそうでもない様子だった。その人の生活歴を見てみると、その人にとって「占い」は「ただの生きていく術で、占いの向こうにあるセールスが目的」だったらしい。
占い師の言葉で感情が揺さぶられる芸能人の姿と、「セールス」が目的だったと言い切り、幸せそうじゃない元占い師。
どっちでもいいけど、占いという技術は不思議なものだ。
占いを深堀
ちょっと、占いについて深堀してみたくなった。
アマゾンで気になる本を、中古で買った。
結論を先に言うが、権威ある学者が書いた書籍でだが、占いついての考察はおぞましいものだった。
著者は、研究テーマを占いにさだめ、凄腕の占い師に著者の心の闇に触れられたことで、占いなどのスピリチアルの魔力にかかってしまい、しばらく抜け出せなかったらしい。それどころか、拝み屋のような怪しい人々とかかわることになる。
その本は、おぞましく読了せず途中でやめてしまった。
書籍名と著者の名前は、ここに記載しない。
こんな時は、心地よいことをしよう
著者が書いているように、一部の占い師の中にはクライアントの心の琴線に触れ、勇気づける才能がある人々が存在することは、事実のようである。
著者は、幼少期から経済的に恵まれ才能もあり臨床研究にも一定の評価を得ている人物である。現に、そんな人でも、自覚していない心の闇があり、それを占い師に掘り起こされ、還暦近くの学者がオイオイ涙を流し、しばらく占いの沼にはまっていた。
本末転倒だ。
自覚していない心の闇を掘り起こして、どーするんだ。
何の生産性があるのか?
自分自身を内省することは大事だ。
そこができない人間は、成長しない。
ただ、心の闇を覗くのはパワーがあるときにするべきだと思う。
占いは、ダメ ダメ
感情揺さぶられメータが、動かなくったっていいじゃない?
誰かに、頑張れって言われているわけじゃない。
バイオリズムが低下している時は、焦らない。
ただ、変化がない生活は、何も生み出さないと思うから、
心地の良いと感じることに課金して、自分を甘えさせてあげよう。
何をしようかな?