ビジネスマインドを切りかえろ
相談員はひとり親方か?
相談員としてケースワークをすることとは別に、ライフワークでコミュニティワークをしていこうと決めた。
その活動の一環として、このブログを始めた。
活動を開始するにあたり、マインドセットの必要性を感じている。
相談員という職業は、雇われの身分であるが、仕事はひとり親方のような部分が強い。
当たり前であるが、よほどの困難ケースでない限り、ペアで活動することは少なく、相談員がピンで活動する。
ピンで活動するということは、活動の責任を個人で背負い頑張った分だけ報酬が増えるのがセオリーであるが、相談員はそうではない。
相談員は、サラリーマンなのだ。
相談件数の数が多かろうが少なかろうが、相談員個人の報酬には反映されず月給制だ。
活動の責任はどうだろう??上司や組織の在り方によるだろうな。
サントリーの創業者のように、「やってみなはれ!」って背中を押してくれて、しくじってもきちっとお尻を拭いてくれる、理想の上司はなかなかいない。
とにかく、相談員はひとり親方のような要素も多いが、社会的にも経済的にも某相談所の看板があるから保障された身分で働いている。
某相談所を離れて、活動するということ
某相談所もコミュニティワークをしていたのだが、この実践が誰のための活動かわからなくなった時期があった。
某相談所も、コミュニティワークに対して義務やノルマがある。
住民のために必要な活動 ≠ 某相談所のすすめたい活動
住民の立場に立って考えたら、地域の表出された課題とリンクしないような某相談所の義務やノルマは笑止千万だ。
リセットだ。
純粋に住民のためのコミュニティワークをするには、どうしたらいいのか?
コミュニティワークはピンではできない。
多様な視点や人手がいる。
幸いなことに、同じ思いを持った同業他社の友人や多業他者の仲間がいた。
50%は、整った。
後は、何を整えたらいいのか?
某相談所の看板が邪魔だ。
某相談所に所属することによって生じている縛りや義務が、住民の為にならないとは言わないが、支援をしている人の野心はブラックで無責任な部分がある。
だって、サラリーマンなんだもん。
転属になれば、地域にかかわった責任はなく、どんな未来になろうが関係ない。
看板を外すことによって生じること。
某相談所の看板を離れるということは、社会的な保証が無くなる。
ここは、あえて証と言う字を使った。
某相談所の看板ないおかみは、ただの聞き上手のおばさんでしかない。
もう一つの書き方である、保障の部分。
某相談所と利害関係のある地域は、某相談所のおかみのしくじりに対して寛容な部分はある。
某相談所の看板が無くなると、しくじったときにお尻を拭いてくれる上司はおらず、住民から厳しい評価をいただくことになるだろう。
それに対抗するには、どうしたらいいのか?
ただの聞き上手のおばさんを脱するためには、どうしたらいいか?
しくじらないようにするにはどうしたらいいか?
おかみの実績が目に見える形で表現されればいいのか?しかも、某相談所の看板を使わずにだ。
落とし穴にはまらないようにするには、どうしたらいいか?
わからない。
地域活動を推進することをビジネスにしている人は、ごくわずかだ。
ごくわずかな人をモデルとして、自己研鑽していくしかないだろう。
そこで、おかみなりのスタイルを確立していくしかない。
某相談所の看板に甘えることのない、ビジネスマインドを獲得しなければならない。
そして、大事なこと。
サラリーマン根性を脱すること。(笑)
サラリーマン根性を脱する方法については、またゆっくり考えたい。