「寄り添い」ってなんだ
なんだ?なんだ?シリーズ
この社会福祉を仕事にしていると、何とも言えない抽象的な言葉を日常的に使う。
例えば、「ふれあい」「ささえあい」「生きがい」「その人の世界」「心の支え」など。
気軽に使っているキラキラした言葉。
具体的な表現に置き換えると、どういうこと?ってなる。
その中で身震いがするほど嫌いな言葉ある。
それは、「寄り添い」だ。
「寄り添い」アレルギー
かれこれ15.6年前のこと、たまたま相談員として就職が決まりそのタイミングで小学校の同窓会が開催された。
小学校の担任たっだ先生に近況を聞かれ、相談員として某相談所に就職が決まったと伝えたら、「クライアントに寄り添える相談員になってね」って言われた。ちょうど、先生の家族が、某相談所と同じ部類の相談員にお世話になっているそうで、そのような発言につながったみたい。
寄り添う?
よく聞く~聞く~ そのフレーズ!
先生、何を期待しているの?
まぁ、一般の人よりかは悩み事を聞き取る技術は長けているけど…。
所詮、制度の範囲でしか解決できないもんね。
先生、何言ってんの~。
って、思っちゃったね。
と同時に、「寄り添う」っていう行為が、どういう行動なのかさっぱりわからない。
キラキラした「寄り添う」という言葉の裏にある、何とも言えないうすら寒い影があるように思えて、気持ちが悪さを感じた。
今なら、わかる!!
この何とも言えない気持ち悪さ。
あの頃、本能的に感じ取ってたんだな。
今ならわかる。
仕事として一線を引いて相談を聞いているのに、あたかもクライアント家族や友達と同列に並べられ、「寄り添い」という言葉の陰にあるシャドーワークが見え隠れする。
「寄り添い」というワードが発せられた瞬間に、おかみのプライベートが侵食され、個人的な献身や精神的搾取が生まれ、際限のない自己犠牲が強要されるという構造が見えてくる。
絶対、無理!!
そういう仕事したくない!!
相談員は、使い捨ての感情労働者ではない!!
寄り添いの研修
おかみの所属している職能団体から、メールで研修案内があった。
「寄り添い」の研修。
臨床心理士の職能団体が主催。
臨床心理士が、寄り添いを解いてくれるんか?
どう料理して、どんな答えをだしてくれるんだろう。
金2000円也。
業務に直結しない研修だから、会社に研修費支払っていえない。
この金額なら、自腹きってもいいか?
臨床心理士という人種
いよいよ、研修が始まった。
学術的に寄り添いを解くというよりも、グループで話し合って「寄り添い」をどう解釈するか?っていう研修内容。
臨床心理士だからとて、この「得体のしれない言葉」を研修参加者が納得できるように定義できるわけがない。
ワークが始まるとおかみと同じように、一定数の「寄り添い」を美徳とすり替える空気にNOといえる人がいた。
いい感じ。面白くなってきた。
臨床心理士よ、どうさばいてくれるのか?
寄り添いを紐解く
ワークを進行していくのは、スクールソーシャルワーカを名乗る若々しく見える女性が、紐解く手順を心理学の理論に基づいて説明する。
おかみは相談員だから、理論なんてどーでもいい。答えが欲しい。
鼻息荒く、グループワークに挑む。
おやおや、いつもと雰囲気が違うぞ~。
臨床心理士という人種は、先生って呼び合ってるだ。ついでに、臨床心理士じゃないって言っているのに、先生って呼んでくれる。
なんだ、臨床心理士の世界観。ちょっと、こそばいい。
それは、横に置いといて。
ワークの進捗について話を戻す。
4人グループで、「ぼく、クライアントに寄り添いが足りないと思うんだよね。寄り添いって何だろう」って人が1名、おかみと同じように「寄り添いって言葉嫌いなんだよね」が2名、あと一名はスケジュールが空いたので暇つぶしに参加って人が1名。
多分、暇つぶしさんがグループファシリだ。
段取りとしては、
①「よい寄り添いの具体的な事例を思い出し出し合う」
②「悪い寄り添いの具体例を考え良い寄り添いの違いを考える」
③余計な解釈がはいっていない。他の人の経験に当てはまるかどうか?を繰り返し検討していくことで、本質に近づき浮かび上がってくる。
グランドルールはこれ!
★「違い」をすり合わせて折衷案を出すのではなく、ただ違いを深堀する。
★「寄り添い」の意味の本質を洞察する。なるべくたくさん言葉を乗せる。「お盆にのせる」イメージで。
理論はわからんが、①と②は「寄り添い」のキラキラした部分をそぎ取り、寄り添いの要素をお盆に乗せ客観しするんだな。気に入ったのは、グランドルールの折衷案を出さず。これがないと寄り添いとは言えない部分を見つけるところだ。
で、「寄り添い」の結論は?
からくりが理解できたところで、ワークを進めていく。
予想した通り、暇つぶしさんがグループファシリ。
名乗らなかったけど、おそらくどこかの大学の講師のような仕事をしている人だ。
おかみは、記事にしたことがある「決めないことを決める」に登場したエピソードを披露した。

それぞれが、事例を出し合う。
そして、結論を出さなきゃいけないが、ひたすら肯定をして「対話をづづける」。
そう、言葉を交わしつづけて深堀していく。
暇つぶしさんが、きちっとおかみが納得できる結論を道案内してくれた。
おかみのグループが出した「寄り添いとは」の結論。
「寄り添い」とは、支援者の技術や振る舞いではなく、クライアントとの「関係性」そのものだ。
支援者がどれだけ「寄り添っているつもり」でも、相手がそう感じなければ、それは成立していない。逆に、たとえ無自覚であっても、相手が救われたと感じたなら、それは立派な「寄り添い」になる。
つまり、評価のハンドルを握っているのは、常にクライアントであり、その「実感」こそが正体なのだ。
その関係性を支えるのは、特別な魔法ではない。 一人の人間としてのリスペクトと、支援者として「あたりまえ」に向き合い続けること。ただそれだけが、この得体の知れない言葉の、唯一の確かな土台となる。
支援者の個人的な献身や精神的搾取・自己犠牲が強要などダークな精神論ではなく、支援者として「境界線を守り抜く」というタフな技術のことだったのだ。
「寄り添い」
この抽象度の高い言葉を、対話することで自分で言語化し落とし込めるまで導いてくれた臨床心理士たちに感謝する。
自腹で払った2,000円。
最高にコスパのよい、自己投資でした。
